浄土真宗とは?|僧侶が分かりやすく解説

スタッフブログ

2025.08.29

浄土真宗ってお葬儀や法事の時には耳にすることが多いが、どのような教えかわからない

亡くなられたかたに向けての念仏を称える宗派

浄土真宗には西と東があるが何が違うか分からない

そう思っていらっしゃる方は少なくありません。

浄土真宗は、宗派の名前としては認識されていること多いですが、

浄土真宗とは何か?」と問われると具体的には説明できない方もいらっしゃると思います。

教義としての基本的内容ですが、浄土真宗は、葬儀や法事の仏事の時だけのものではなく

私たちの日常の生き方や、心の持ち方など、その教えは

日々の生き方にも直結している部分となります。

この記事では、浄土真宗の宗祖親鸞聖人の生涯から、浄土真宗の歴史から基本的な部分から

深いところまで分かりやすくお伝えさせていただきます。

1.浄土真宗のはじまり|親鸞聖人の生涯

浄土真宗は親鸞聖人によって鎌倉時代に開かれた仏教宗派で、阿弥陀如来の本願をよりどころに、

「生きとし生けるものたち全てを救う」と誓われた、阿弥陀如来の教えに触れさせていただき、

今生きているこの時にその教えに出遭っていくという考え方をとります。

親鸞聖人は比叡山で長年、自力による修行を重ねましたが、自力では悟りに到達するのは

困難だと痛感しました。

その時に出会ったのが、浄土宗を開かれた法然上人であり、

そこで「阿弥陀如来はすべての人をそのまま救う」という浄土真宗の中心となる

他力の教えに出遭い、自力から他力の教えと方向転換されました。

その教えが浄土真宗になり現在に至るまで、多くの人に伝わっていく教えとなりました。

こうして生まれた浄土真宗は今もなお多くの人々に受け継がれ、現代の私たち

の時代まで伝えられてきました。

2. 浄土真宗における阿弥陀仏の本願とは?

浄土真宗の教義の中心的な部分は、「阿弥陀仏の本願」です。

浄土真宗では、阿弥陀仏はすべての人々を平等に救うと誓われた阿弥陀仏の救いに

出遭わさせていただく教えになります。

その阿弥陀仏は、もともと菩薩という位から阿弥陀仏になられました。

その境地に至るまでには、法蔵菩薩として私たちでは計り知れない長い年月をかけて

「生きとし生けるものすべてを救う、それができないならば私は仏にならない」

という大きな誓いをたてられました。

その阿弥陀様の誓いというのが「四十八願」であり、浄土真宗ではその中でも、第十八願の

生きとし生けるものすべての人が阿弥陀仏を信じて南無阿弥陀仏と称えることで必ず、

浄土に往生することができる」というところを一番大切にします。

そのはたらきをそのまま受け止めていくことが、私たちが救われていくただ一つの道だと

示してくださったのが親鸞聖人であります。

ですから、浄土真宗における「南無阿弥陀仏」と称える行為とは「阿弥陀様救ってください」

という祈願のお念仏ではなく、阿弥陀様の救いに出遭わせていただいた報恩感謝のお念仏になります。

浄土真宗の特色|悪人正機と平等の救い

浄土真宗における大きな特色の一つが、先ほど紹介させていただいた、

阿弥陀様の本願をいただく、「他力本願」であり、もう一つ、「悪人正機」

という考え方があります。

悪人と聞くと、私たちのイメージでは「罪を犯した人」「良くない行いをした人」

というように考えるかもしれませんが、浄土真宗においては、「悪人」とは単に罪を犯した人、

道徳的に悪い行いをした人を指すのではなく、煩悩の中にいて、

自らの力では悟りに到達することのできない私たちの存在を「悪人」と考えます。

親鸞聖人は「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」という言葉を残されました。

この言葉には、善人ですら阿弥陀様の救いにゆだねることが必要である以上、

悪人こそ救いの対象とされるということであります。

つまり浄土真宗では、「善人のみが救われ、悪人は救われない」と区別することなく、

すべての人々が阿弥陀仏の本願力により救われていくと説かれているのです。

5.浄土真宗の葬儀・法要

浄土真宗における葬儀と法要は、他の宗派と比べて大きな特徴があります。

それは、多くの宗派では、葬儀や法事を「故人の冥福を祈る供養」をすることです。

ですが、浄土真宗における、葬儀や法事は「亡き方をご縁とし、仏法に出遭う場」

として受け止めさせていただきます。

これは、浄土真宗の根本的思想になるのですが、「自らの力行いを必要としない

というところからきています。

ですが、亡き方のために何かをしたいと思うのが、残された方々の想いであり、

その思いから葬儀、法事をお勤めされると思います。

浄土真宗の救い、阿弥陀様の願いというのは、もう生きているちに定まっているというものになります。

ですから、お葬儀は「亡き方の供養」「亡き方が道に迷わないように送り出す」というよう儀式

ではなく、残されたわたしたちがその教えを聞かしていただく場としての受け止めが、

浄土真宗の葬儀における中心的な意義となります。

おなじく、浄土真宗における法要も、「供養のための行事」ではなくご縁のある方々が集まり、

故人様を偲ばしていただき、ご生前の事を振り返り、様々な想いのもとお勤めされることだと思います。

浄土真宗の教えは、葬儀や、法要の場に限らず、迷い、悩みのなかにいる私たちに寄り添い続けてくれる教えになります。

年忌法要では、振り返りの場だけではなく、日々の生活ではあまり考えることのない浄土真宗の救い、

阿弥陀様の願い、ということについて触れていただける貴重なお時間としていただければと思います。

6.浄土真宗についてよくあるご質問まとめ

Q1.浄土真宗ではなぜ「供養」という言葉を使わないのですか?

 浄土真宗の根本的な考え方では、阿弥陀様のはたらきにより救われていくという教えであり、

 故人様を、わたしたち残されたものたちのが供養していくというかたちをとりません。

Q2.浄土真宗では戒名はありますか?

 浄土真宗では戒律を守ることで救いが得られるという教えではないため、「戒名」

 という呼び方をしません。

 浄土真宗では「戒名」ではなく、「法名」といて、阿弥陀様の本願に出遇った証として

 名づけられます。これも、浄土真宗の特色の一つです。

Q3.浄土真宗の葬儀は他の宗派と何が違いますか?

 浄土真宗では、故人様に対して「ご冥福を祈る」ということをしません。

 浄土真宗における葬儀は、「亡き方をご縁といて阿弥陀様の本願に出遇わせていただく場」

 として受け止めさせていただきます。

 読経や、法話もそのことを中心に進めさせていただきます。

Q4.浄土真宗では念仏はどのように称えればいいですか?

 浄土真宗では念仏に特別な作法や回数は必要ありません。

 阿弥陀様のはたらきに出遇わせていただいたことに対する報恩感謝のお念仏として、

 称えさせていただきます。

Q5.浄土真宗で法事はなぜ行うのか?

 法事は、「亡き方のご冥福を祈る場」ではなく、亡き方をご縁とし、ご家族、

 ご縁のある方々が集まり、「仏法を聞かせていただく場」として、

 受け止めさせていただくのが浄土真宗の考えになります。 

  

Q6.浄土真宗のお仏壇には何を祀るのですか?

 浄土真宗では仏壇の中心に阿弥陀様をお迎えさせていただきます。

 浄土真宗では仏壇にご先祖様をお祀りさせていただくのではなく、

 阿弥陀仏に手を合わせ、亡き人をご縁として仏法に出遇う場として

 仏壇があります。

Q7.法事の日程は、命日の日でないといけないのですか?

 浄土真宗では絶対にご命日の日、また「その日までにお勤めしないといけない」

 ということはありません。  

 ですので、ご家族の方々、ご縁のある方々がお集まりいただける日程と、

 お寺との日程を合わせていただき、お勤めさせていただくかたちで大丈夫です。

 

Q8.浄土真宗では、数珠に意味はありますか?

 浄土真宗において、数珠は念仏を称えるときに手を合わせる仏具であり、

 阿弥陀様のご縁に結ばれていることを示す大切なものになります。

 浄土真宗では、数珠の数や大きさに意味を持ちません。

 ですから、「108つだから煩悩を断ち切る」とか、「特別な石だから良い」

 というようなことはありません。

 

Q9.浄土真宗には西と東があると聞きますが、どう違うのですか?

浄土真宗は親鸞聖人の教えを受け継ぐ宗派ですが、歴史のなかで、

本願寺を中心に大きく二つに分かれました。

一般的に「西」と呼ばれるのは、浄土真宗本願寺派(西本願寺)であり、

「東」と呼ばれるのは浄土真宗大谷派(東本願寺)です。

どちらも根本の考え方は同じ浄土真宗の教えになります。

違いとしましては、細かな作法や、声明に違いはありますが、浄土真宗の教義、

信心は同じになります。

 

7.まとめ 浄土真宗お教えに生きる

浄土真宗とは、単に葬儀や、法事のときに触れるだけの仏教ということではなく、

阿弥陀様の本願を親鸞聖人によって伝えられた浄土真宗の教えは、自らの修行や善行

によって救われていくというものではなく、阿弥陀様のはたらきにより、

すべての人々が平等に救われていく教えになります。

常に仏教や浄土真宗のことについて考えながら生活することは難しいことです。

ですが、葬儀や、法事で亡き方をご縁として、故人様を偲ばしていただくだけでなく、

自分自身という立ち位置を、見つめなおすことのできる機会として、

お勤めしてただくことが大切ではないかと考えます。

現代社会では様々な技術の発達などにより便利になっていく一方で、少し人と人

とのつながりが薄くなっていくという寂しさもあります。

浄土真宗の教えとは、時代が変わっていく中でも決して変わることなく、

わたしたちの傍で寄り添ってくれるあたたかい教えです。

浄土真宗を知ることは宗派の知識を得るだけでなく、自分自身の生き方

を深く問い直し、支えとなる教えに出遇うことです。

浄土真宗の教えに触れ、阿弥陀様のお慈悲に抱かれて、

安心と喜びの人生を歩んでいただければと思います。

この記事をシェアする